神魔部隊Oracle 特別番外編 「人狼の夜」

0 真夜中の通話

 よく知った名前で告げられる、通話要請に応えると、画面に「彼」の姿が映し出される。
 自分によく似た、鮮やかな赤毛の若者に、ダイモンは我知らず笑顔が浮かぶ。
 ここしばらく忙しく、大して話もしていなかった、その人物。

「よう、エミール。急にどうしたんだ」

 ダイモンは、画面の向こうで疲れた様子の息子に話しかける。
 褪せた赤のカーテンを引いて外の闇を追いだした、ダイモンの書斎。
 本棚には買い込んだ各分野の専門書が並び、その間に広めの執務机。
 その上に、デスクトップのパソコンが置いてある。

 ダイモンは、風呂上がりでくつろいだ様子で、寝間着のスウェットのまま。
 代名詞の、鮮やかなあかがね色の髪は、まだ湿っている。
 鋭い知性と意思の閃く紫色の目が、モニターの中の息子の憂い顔を映し出して怪訝そうに。

 現在、ダイモンのいるアメリカ東部アーリントンは、そろそろ寝なければ明日に響くという時間だが、息子のいるドイツの首都ベルリンは早朝のはず。
 通話ソフトでの通話には、いささか不自然な時間であるが、息子の切羽詰まった様子を見れば、非常識だと叱る気にはなれない。

 ダイモンの息子、今はドイツ風に、エミール・フェリクス・フレーゲと名乗っている青年――生まれたのは紀元前メソポタミアだが――は、明かに今起きたという雰囲気ではない見た目で、彼の職場である、ドイツ軍対分類外生命体特殊部隊の制服を着たままだ。
 恐らく、徹夜で走り回っていたのだろうと思うと、ダイモンとしても流石に気の毒であるし、心配になる。

 ダイモンが労いの言葉をかけると、父親より少しだけ大柄で、精緻に作られた火器のようなどこか剣呑な魅力の青年は、本題に及んだ。

『父さん。久しぶりに顔をみたのに、いきなりこんなことですまないが、協力してほしいことがあるんだ。というより、父さんが今忠誠を誓っている国の危機だよ』

「ほう? そりゃ穏やかじゃないが、どういうことだ?」

 息子の形相や状況からするに、冗談を言っている風ではないと判断したダイモンは、ヘッドセットを装備しなおし、傾聴する体勢に入る。

『非常に危険な妄想を抱いた、暴力的傾向のある人狼の男が、つい最近、ドイツ国内から逃げ出して、アメリカに向かったのが確認された』

 息子の、エミールの声が硬い。

『ヨーロッパ各地に、そうした反社会的な思想を持った人狼たちの互助組織があるんだ。ドイツ国内で事件を起こした件の人狼は、そいつらに助けられてヨーロッパ各地を逃げ回り、最終的にイギリス経由で大西洋を渡った。こっちの時間で昨夜のことだ』

 ダイモンは眉をひそめる。
 人狼は、欧州起源の神魔の中では、最も勢力の強く、人口も多い者たちの一つだ。
 それだけに、性質はピンからキリまで様々であり、中には危険思想に傾倒する者もいる。
 問題は、そうした危険な者がごくわずかな割合であろうと、人狼全体の数からすれば、それなりの人数に上ること。
 そして、伝統的に危険思想が受け継がれ、若い人狼の中には、それが「まっとうな」人狼の生きる道だと勘違いし、より先鋭化する者が後を絶たないということだ。

「例の奴か。『神の猟犬』思想の奴……」

『そう、それだ。自分は、神に、「魔女」を殺す使命を与えられたと信じて、そいつにとって気にくわない人間を「魔女」と断罪し、殺す奴。そいつは、確認されただけでも十数人、難民を中心に殺害して回っていた。難民でない者ももちろん含めてな』

「……そういう奴がアメリカにか。厄介だな」

 ダイモンは鋭く息を吐く。

「神の猟犬」思想というのは、欧州に由来する人狼たちの一部の間で、かなり根強く受け継がれている危険思想だ。
 人狼という種族は、神によって「魔女」を殺害する使命を与えられたと思い込むというもの。
 そして、単に気にくわない者や、あるいは妄想に基づき、神によって指名されたと思い込んだ対象――人間の場合が圧倒的に多いが、中には神魔も存在する――を、実際に殺害に及ぶのだ。

 この危険思想は、かつて欧州全体が魔女狩りの嵐に巻き込まれた13世紀以降に生み出されたとされている。
 ルネサンス期以降から三世紀にも渡った魔女狩りの猛威は有名だが、実際には「狩られた」のは魔女たちだけではない。
 多く、人狼たちも人間たちから迫害の対象にされた。
 そんな追い詰められた人狼たちが、迫害を逃れるために生み出した悲しき思想が、「神の猟犬」思想だ。
 本来同等の存在であるはずの神魔の一種である「魔女」たちを、自らの身代わりに迫害者に差し出すごときこの思想は、現代に生きるまっとうな人狼たちからは明確に否定されている。

 しかし、人狼族特有の暴力衝動の制御の仕方を学び損ねた、不遇な人狼たちの間では、この危険思想はまだまだ現役である。
 単に個人的な好悪の感情か。
 あるいは、抑えられない暴力衝動に小突き回され、歪み切ってしまった精神が見せる幻覚によってか。
 どちらにせよ、彼らは罪なき人間や神魔を殺す。
 場合によっては、殺害だけに飽き足らず、死骸を貪り食う、完全に狂った者までいる。

 解決方法は二つ。
 専門の神魔向け医療機関に接触させ、それなりの時間をかけて適切な治療を施すか。
 あるいは――その人狼を、永遠にこの世から抹殺するか。

『ドイツ軍対分類外生命体特殊部隊の上層部から、Oracleに向けて、正式な通達が行ったはずだ。俺も、昼の便で、アメリカに向かう。父さん、忙しいとこ悪いが……』

 エミールが唇を噛むのを、ダイモンは気の毒な思いで見やった。
 この子も2000年以上生きているというのに、こんなに余裕をなくすのは珍しい。
 おそらく事件の内容が殊更に悲惨で、責任を感じているのだろう。

「ああ、安心しろ。全面的に協力する。新しく強力なメンバーも入ったところだし、そういう点では不幸中の幸いだ」

 彼女をお前にも紹介したいよ。
 彼女さえいてくれれば、人狼一匹くらいは問題でないはずだ。
 実際に問題になるのは、そのサイコ人狼氏の捜索の方だろうな。

 余裕を強調してダイモンが断言すれば、ヘッドセットのイヤホンから、息子の安堵のため息が聞こえた。


1 嵐が来る

「ダイモンの息子さん、そろそろかなあ」

 D9は、明るく広々とした、ワシントン・ダレス空港の、搭乗者出迎えスペースの一角で、入国者の一団が吐き出されるのを待つ。
 先ほど、ベルリンからの直通便が到着したばかり、何か問題がなければ、間もなくダイモンの息子、エミールが姿を見せるはずである。

 昼過ぎの広々した、光の射しこむ空港。
 D9は、ダイモンと共に、彼の息子であるエミールを出迎えに来ている。

 エミールのことは、前々から聞かされていた。
 ダイモンの部屋に、写真があったのだ。
 エミールが生まれたのは紀元前、アケメネス朝ペルシア領内でのこと。
 母親は、当時ダイモンと婚姻関係にあった、人間の女性だということ。
 エミールの母親となったその女性は若くして事故死、幼いエミールを、ダイモンは男手一つで育てたということ。

 エミールが成人してからも、ダイモンはよく彼と連絡を取り合い、場合によっては兄弟と偽って、一緒に暮らすことがあったのだという。
 歴史の転換点に、一緒に居合わせることも多かったらしい。
 王朝の滅亡や勃興。
 特に、後から周囲に興味を持たれるのは、キリストの磔刑を見物したことだという。
 欧州に拠点を移した後では、滅多な人物の前で口にすれば、叩かれる原因になったりもしたが。

『エミールな。我が子ながら、いい奴だと思ってる。そりゃあ、長生きしてりゃあ、色々あるが、でも、自分を見失わず、誇り高い。場合によってはけんかっ早いが、それ以外の時は、人懐こくて楽しそうにしていることが多い。D9も、きっと好きになってくれると思うぜ』

 ダイモンが心底嬉し気に我が子を評してから、D9は、エミールに会うのが楽しみである。
 彼の唯一血を分けた子供に興味があったし、彼と様々な話をしてみたい。
 ダイモンと近いけれども、確固として違う人格である彼に、世界はどう見えているのか。

 軍服ではなく、いつものセンスのいい私服で、ダイモンは搭乗者昇降口を眺めていたが。

「お、来たぜ、D9、あの赤毛が、息子だ。よう、エミール!!」

 ダイモンが手を振るのに応えた長身の青年は、まさに彼とよく似た、鮮やかな赤毛を持っている。
 洒落た髪型に整え、ダイモンよりやや大柄な、アスリートのような筋肉質が窺える体を、チノパンと砂色のトラベルジャケットに包んだ彼は、父親を見ると、精悍な顔を破顔させた。
 父親以上に精悍な雰囲気の顔立ちであるが、気品のある端正な容貌だ。
 だが笑うと、ずいぶん親しみの持てる、無邪気で暖かい雰囲気になる。

「父さん!! 久しぶり!! ヒュー!!」

 荷物のトランクを引いて近付いてきたエミールは、父親を見ると腕を広げ、父子は数年ぶりと思われる再会をハグで祝う。

「エミール。紹介する。前に話したろ、ほら、彼女が今つきあってる、ディアナだ。コードネームはD9」

 ダイモンは、エミールを恋人に引き合わせた。
 D9はニットにローライスのデニムの、ごく平凡だが、スタイルの良さを際立たせる服装。
 虹色の艶のある銀髪といい、妙な存在感を感じさせる雰囲気は、彼女の正体を知る者なら、納得するところであろう。

「あなたが、九頭龍の……お会いできて光栄だ、D9。俺はダイモンの息子で、今はエミールって名乗ってる。多分、そこそこ使える神魔だ……と思うぜ」

 握手を求めた大きな手を握り返し、D9は恋人の息子に笑いかけた。

「ありがとう、私はD9。ディアナでも、好きな方で呼んで。こちらこそ、ダイモンにあなたのことうかがってから、ずっと会いたかったの。本当は、こんな物騒な理由で出会いたくなかったなあ。大丈夫? 寝てないんじゃないの?」

 気遣うと、エミールは仕方ないと言いたげに肩をすくめた。

「地元(ドイツ)は凄まじい騒ぎだったよ。到底、眠るどころじゃなくてさ。それに、俺だって、魔神パズズの息子なんだ、一日二日くらいの徹夜なんかで、どうにもなりやしない。お陰でかくのごとくこき使われ中だが……それよりも、こっちでこれから起こることの方が心配だな……」

 眉をひそめるエミールと、D9の肩を、ダイモンは殊更元気づけるように叩く。

「さ、続きは車の中でだ。ここでは人目がある」

 脇を通り抜けていく、入国する人間の群れを気にしながら、ダイモンは、恋人と息子を、駐車場に向けて導いていく。


 ◇ ◆ ◇

「D9、あの、お願いがあるんだけど……」

 ダイモンの車の後部座席に収まったエミールは、隣に座ったD9に、こう切り出す。
 車はダイモンの運転で滑らかに、ペンタゴンに向けて滑っていく。

「え? なに? 私にできることならなんでも」

 D9が問い返すと、エミールはいささか照れた様子で切り出す。

「……ママっって、呼んでいい?」

「!! 私をママって呼んでくれるの!? 嬉しいわ、大歓迎よ!!」

 ぎゅっと「息子」を抱きしめると、エミールは嬉し気に微笑み、ダイモンはそんな二人を微笑まし気にルームミラーで眺めていた。

「全く、お前は。優しくしてくれそうな相手には、すぐに懐くな。猫かなんかか?」

 ダイモンの揶揄に、エミールは見事な猫の鳴きまねで応じた。

「にゃおう。そういうこと言うなよな。九頭龍の背中で昼寝する計画が台無しだ」

「九頭龍ちゃんだけでいいのか? 特大鳥とか特大狼とか、色々いるぞ、俺の職場には」

「まあ、全員制覇を目指すとして……ママに早速説明しないとなあ」

 不意に表情を引き締めたエミールに、D9は首をかしげる。

「説明? 殺人鬼人狼さんについて?」

「それもあるけど、ヨーロッパの特にドイツでの人狼全般の扱いについてさ。ちょっと理解しづらいかも知れない。特に、ママは最近まで、日本で普通の人間として暮していたろ? ちょっと偉そうに講義するのを許してくれ」

 言われてみれば、人狼全体についての、社会での扱いについて、D9はそれほど詳しいわけではない。
 せいぜい、かつて欧州において、魔女たちと並んで迫害される立場であったことぐらいか。

「俺の地元、ドイツでは、欧州の中でも殊更人狼の人口が多い。でも、それは必ずしも、人狼が暮らしやすいっていうこととは関係しないんだ、残念ながら」

「……今でも、迫害されがちってこと?」

 D9は首をひねった。
 ドイツにも、アメリカにおけるキリスト教原理主義のような過激な団体存在するのだろうか?

「そうとも言える。直接どうこうっていうより、文化的にな。人狼には、殊更に悪のイメージが付与されることが多い。邪悪な殺人者ってばかりでなく、人間と狼の二つの姿を行き来するっていうことで、虚偽を広める者って汚名も着せられる、二つ以上の姿を持つなんて、大体の神魔が当てはまる訳だが、まずいことに、人間様方にそれは偏見だと伝える手段がない」

 ま、神魔に存在が万が一認知されてたところで、聞かない奴は聞かないだろうけどね。
 人間同士の問題と、全く同じようにな。
 クソッタレ。

 エミールの表情は口調と裏腹に、真剣で、鎮痛だ。
 彼が、この問題に対して心を痛めているのが、説明されずとも伝わってくる。

「もちろん、こうした文化を創り出している人間たちに、悪意があるって訳じゃない。彼らは、人狼なんて実在しない架空の生き物だと思ってる。他の神魔と全く同じようにな。だから、彼らの投げる無邪気な悪評は、虚空に向けて投げられた石でしかないという訳さ。……実際には、生きている実在の人狼に命中して、中には大怪我させる場合もあるんだが」

「大怪我……?」

「周りに導き手となる他の人狼がいて、その悪評は人間の無知からくるもので、真に受ける必要はない、自分の人生に集中しろって、身をもって教えてくれる場合はいい。でも、不運な人狼の中には、そういうサポートを受けられない者もいる。例えば、若くして保護者を失って、悪意を向ける人間の温情にすがらなければならないような場合さ」

 エミールは、重苦しい溜息をもらす。

「今回の殺人者、ヨーゼフ・イェーガーも、そんな人間たちからの悪評に苦しんで、過激思想に飛びついてしまった人狼の一人なんだ。運の悪い人間が、電車とホームの間の隙間に落っこちるみたいに、まともな同族たちの相互扶助の網目から落っこちて、歪んだ過激思想という間隙に落っこちてしまった。社会の手落ちが、生まれなかったはずの怪物を作り出すのは、人間も神魔も同じことなのさ」

 D9は、ごくりと生唾を呑み込む。

 一体の怪物の背後に広がる、深く冷たい社会の闇の果てしなさに、D9は、我知らず眩暈を覚えるしかなかった。


2 Oracle始動

「諸君。事前に通達した通り、ドイツで事件を起こした、過激思想に染まった人狼が、つい先日、アメリカに渡航してきたことが確認された」

 午後一番で招集がかけられた、Oracleのオフィス。
 中庭に面した窓から差し込む穏やかな光と裏腹に、Oracleメンバーの間には緊張感が漂っている。
 ダイモンとD9は、並んで上司の次の言葉を待つ。

 窓を背にして、Oracleの統括であるプリンス。
 手入れのいいプラチナブロンドは、いかにも高級軍人といった風に、綺麗になでつけられている。
 そわりとさせる青緑色の神秘的な目に宿る光は、今は厳しい。
 そして彼に並んで、エミールが私服のまま、緊張の面持ちを見せる。
 彼は対照的に、鮮やかなあかがね色の髪だ。
 一目でダイモンの血縁とわかる。

「今一度確認すると、奴の名は、ヨーゼフ・イェーガー。人間化している時の容貌は、メールで送った写真の通り。男性、実年齢はまだ24歳という、ごく若い人狼だ」

 プリンスの言葉に、誰もが、業務用メールに添付されてきた茶色みの強い金髪に、くすんだ青い目の若者を思い出す。
 薄暗い眼窩の奥から睨めつける恨みがましい眼差しに、病んで歪んだ精神を見出すのは容易ではある。

「この先は、このエミール・フェリクス・フレーゲくんに説明を任せよう。もう諸君らも知っての通り、我がOracleの主力の一人、ダイモンの御子息だ」

 プリンスの紹介と目配せを受けて、エミールは前に出て、口を開く。

「初めまして。ドイツ陸軍対分類外生命体特殊部隊所属のエミール・フェリクス・フレーゲ少佐だ。皆さんが大変お忙しいことは、父から聞いて知っているが、申し訳ないが、更にお忙しくしてもらわにゃならなくなったんでな。その辺の適当な神でも恨んでくれ」

 Oracleの面々の間から笑いが漏れる。

「ヨーゼフ・イェーガーについて、少し詳しく説明する。彼の思想背景を知らずして、行動の予測もない。胸糞悪い話だが、諦めてよくよく聞いてくれ」

「ああ、もう、この時点で悪い予感がするぜ!! アーメン!!」

 Oracleの誰かが悲鳴を上げ、失笑が漏れる。

「ヨーゼフ・イェーガーは、生粋の人狼の両親から生まれた。それだけなら、珍しいことでもないが、彼の不幸はここからだ」

 エミールは、ふう、とため息をつく。

「その人狼の両親は、イェーガーが幼い頃、神魔同士の抗争に巻き込まれて命を落としている。彼らは人狼の中でも、生命としての強靭さに特化していて、簡単には殺害できないはずだったのだが、相手が悪かった。魂を無理やりに肉体から分離するという、死神的な相手だったんだ。かくして、イェーガーは、親の顔も覚えていない孤児となった」

 同情の気配が漂う。
 エミールは更に続ける。

「もし、適切な相手に引き取られていたら。そう思わずにはいられない。しかし、奴を引き取ったのは、傲慢な人間優位主義者の聖職者だった。表向きは信頼できる司祭だったが、奴は裏で、イェーガーのような行き場のない神魔の孤児を引き取り、彼らに『神の猟犬』思想を吹き込んで、自分の私兵に仕立てていたんだ」

 例えば、とエミールは続ける。

「お前は神に呪われたカインの子孫で罪深い者であるが、神のために働けば、許される可能性がある。神の声は、私が取り次ぐ。私の指示通りに、神の敵である存在を葬れ。お前たち人狼の、本来の使命はそれなのだ。……かくして私兵団の出来上がりだ」

「……私兵っていうと、何をやらされていたの? 何かと戦っていたってことよね?」

 最前列で話を聞いていた、カーバンクルのアミュレットが、質問を挟んだ。
 きらきら光る宝石のような緑の瞳の光がいつもより鋭い。
 肩上で切りそろえられたカールした髪を、そわそわといじっている。

「その聖職者が恣意的に『魔女』認定した、主に人間と戦っていたのさ」

 エミールは厳しく眉根を寄せて吐き捨てた。

「まだ調査中で、全貌は明らかになっていない。だが、現時点でわかっているだけでも、奴が『魔女』認定し、『神の猟犬』たちをけしかけて殺害したのは、反宗教的な思想を持ち、それを表明する者。あるいは、奴と思想を異にして、それをおおっぴらにする者。近年では、移民や難民なんかも標的になっていたらしい」

 ああ、と、アミュレットと同じく、前の方で聞いていたオービットが、金髪に指を突っ込んでぽりぽりやりながら、呟いた。
 腰の後ろで、飛び出た尻尾が、珍しく神経質に揺れている。

「SNSで知り合ったドイツの神魔がこぼしてたな。どういう訳だか、そいつを批判すると、間もなく批判した人がプツリといなくなったり死んだりするっていう、恐怖の聖職者がいるって。聖職者じゃなくて、死神かなんかじゃないかって、恐れられていたらしいぜ。そいつか。うっひょお……」

 ああ、と、エミールがうなずく。

「間違いない。SNS上の一部で、『死神司祭』と陰口を叩かれていた男。そいつが、イェーガーの育ての親だ。今は配下の神魔ともども、身柄を拘束され、事情聴取を受けているが、それこそ余罪は壮絶なことになるらしい。何せ、気軽に『魔女認定』を出し過ぎて、本人が覚えてもいない殺人教唆もかなりに上るっていうんだから、呆れるぜ」

「……なんつうか、現代の話とはとても思えねえな。いろんな奴は見てきたが、イカレポンチは万国共通だ。そいつらは人間の進歩なんか信じちゃいねえ。俺たち(神)が喜ぶと思い込んで、生贄の儀式を行っていた時代のまんま、止まってやがる」

 現在、現役で日本の八百万の神の一柱であるイグニス――火之迦具土命が、顔の半分を覆う凄まじい傷跡を歪めて、嫌悪を露わにした。

「恐ろしいことに、不遇な神魔を『神の猟犬』に仕立てるっていう思想は、死神司祭個人の発想ではないんだ。ヨーロッパ各地に似たような思想を持った人間や神魔のネットワークが存在して、互いに連携して『魔女』認定した者を葬ったり、官憲に目を付けられた『神の猟犬』をかくまったり逃がしたり。ただ、」

 エミールは、大仰に両手を広げた。

「いい歳こいて、その死神司祭は迂闊だった。本当は、あまり噂にならない、事故死や行方不明を装い、疑われないようなペースで『魔女』を処刑していく。しかし、死神司祭は違った。手に入れた力に酔いしれた。SNSの発達で、意見の異なる相手を探し出すのも容易になったのもある。奴は、目につく『魔女』全員を、自分の生きているうちに葬ろうと決意した訳さ」

 ここまで来ると、もう、宗教的理由なんて仮面も剥げ落ちる。
 完全に、死神司祭の好悪の問題だ。
 一言で言って、ヘイト犯罪の究極形。
 現在、ヨーロッパ各国の公的神魔組織が連携して、「神の猟犬」組織の一斉摘発に取り掛かっている。
 ヨーゼフ・イェーガーは、その手が伸びる前に、アメリカに逃亡したという訳だ。

 エミールが言葉を切ると、D9は詰めていた息を吐き出す。
 一見生真面目な宗教家を装っていたのだろうが、その「死神司祭」は、ただの狂人だ。
 ネット上で思想や立場の違う相手を論難するばかりか、殺害予告までする大馬鹿者は目にしたことがあるが、実行する者はそう滅多にいるものではない。
 しかし、その司祭は実行したのだ。
 理由は、「その力がたまたま手元にあったから」に過ぎないのだろう。

「さて、この件に対する、我が部隊の基本方針を発表する。調査と検討の結果、残念ながら、イェーガーの人格矯正は不可能だと判断した。奴はあまりに血に染まり過ぎている。無理に医療機関に放り込んでも、治療者が危険にさらされるだけだ。従って、発見次第抹殺すること」

 そのプリンスの言葉に、納得の雰囲気しか上がらないのは、流石に百戦錬磨の猛者たちではある。

 毒親育ちのD9としては、どこか身につまされる気分にもなるが、イェーガーは恐らく、もう戻れないのだ。
 それがきっと、自分との違いなのだろう。

「これより、この件に関する捜査体制を発表する。まず、本隊となるのは、イェーガーを直接知っているフリューゲ少佐を含めて、ダイモン、D9、アミュレット、イグニス、そしてオービット。彼らをメインに、これより発表する作戦に沿って、捜索を開始するように」


3 悪徳の街、悪徳の夜

 今の時代は、神の恩寵を失い、悪徳にまみれた悲しい時代だと、司祭様は言う。

 ヨーゼフ・イェーガーは、ちかちかする街灯に照らされた周囲の光景を眺めながら、心の中で、何度目になるかもしれない同意を返す。

 故郷も酷いものであったが、このまだまだ若い国では、ますます凄惨だ。

 人々は享楽的に楽しみ、日曜日に教会に出かけたこともなさそうな者、そもそも異教徒以外のなにものでもないような者たちも珍しくない。
 女は男の格好をし――何でジーンズなんか穿くのか、あれは男の服だ!!!――道端で、故郷では見たこともないような、異国の珍妙な料理を売っている。
 夜中に近いというのに、けばけばしい照明の遊戯施設は、ささやかな出会いや酒や踊りを求める者たちで引きも切らない。

 どこかでハスキーな黒人の声で、耳障りな音楽が流れてくる。
 司祭様が、絶対に聞いては駄目だ、悪魔の音楽だと言われるようなものが、街の雑踏に紛れて、当たり前のように聞こえてくる。

 子供の神への愛を、悪魔への崇拝に変えると、司祭様が断言していたゲームのキャラクターが、電光掲示板の中で踊っているのか戦っているのか。
 どちらにせよ、神への冒涜だ。

 じりじりと弱火で焦がされるようなイェーガーの怒りは、この大きな都市の中で身を隠すうち、最高潮に高まってしまっている。
 最後に世話をしてくれたイギリスの同志は、アメリカでも田舎は駄目だ、都会に逃げろ、そこなら目立たないと念押ししてくれたものだ。
 しかし、それに従ったことを、来て早々に後悔することになるとは。
 とにかく、神経を逆なでするものが多すぎる。
 異教徒や下等な人種とその文化、挑発的な格好の男女、すみっこに追いやられたような教会を探すのに何時間かかったことか。

 もう、我慢も限界だ。
 皮膚の下で、骨と筋肉が蠢く。

 イェーガーはさまよい、そして一人の女を目に留める。

 中東系の、若い女だ。
 頭部をすっぽり覆う特徴的なスカーフのお陰で、一目で判別できる。
 深夜営業の書店から出てきたのだが、その手に持っている、今買い上げたらしい商品が、イスラム教徒としてアメリカの下院議員になった男の自伝である。
 確か故郷でもドイツ語訳版が出ていたと記憶しているが、司祭様は、あの本は、悪魔の手先である異教徒が、悪魔の教えを広めるための堕落した本だと断言し、教区の人間に、購入するなと呼び掛けていたという曰く付きだ。

 ドイツでも、その本に肯定的な感想をSNSで書き込んだ女子学生を探し出し、引き裂いて殺したことがある。
 貪った血肉の、その甘美な味は、まだ忘れられない。
 女の、まだぴくぴく動いている心臓は、最高の御馳走と断言できる。

 イェーガーは息をひそめ、その女の後を追った。

 次第に街の明かりがまばらになり、喧騒が遠のく住宅街にさしかかる。
 街灯を一つ越すたびに、イェーガーの姿は、平凡な白人男性のそれから、筋肉や骨格が怪物的に膨れ上がった、人狼の姿となっていく。
 肩幅が異様に広がり、まるで体格を誇張した鎧でも着たような影が夜の路地に落ちる。
 指先が太く、巨大化し、手指の先にナイフのような爪が備わり、長い長い影を路上に伸ばす。
 しまいには、頭部が半ば尖り、鼻づらが伸び、ぞろりと巨大な牙の生えた口吻が備わる。

 目の前の女は、全く気付いていなかった。
 ゆったりした、異教徒特有の衣服が揺れる様は、さながら自分が信奉している、神への挑発に他ならない。

 許してはおけない。
 こういう者を許してはならないのだ。
 人狼が、自分が、神に赦されるために。

 音もない風のように、イェーガーはその女に躍りかかる。
 背後から口を押え、抱え上げた体は、人狼の力の前では、カンナくずが詰まった麻袋のように軽い。

 恐怖で硬直している女を放り込んだのは、未知の脇の、売り物件の看板が出ていた無人のビルだ。
 元は何か飲食店の店舗だったのであろう、カウンター付きの広いフロアにその女を放り出す。
 女の手から、イェーガーの神経を逆なでした「堕落した本」が、転がり落ちる。

 その段になってようやく女は現実を認識したようだ。
 腕で支えるように上半身を起こし、まじまじとイェーガーを見る。

 女が、自分の人狼としての姿を認識したのを、イェーガーは昏い悦びと共に確認した。
 黒々とした彼女の目が、大きく見開かれる。
 表から射しこんでいる街灯の光量は、自分の姿を人間の目にだって、認識させるには十分であるはず。

 派手な悲鳴が上がり、イェーガーは大きく巨大な爪の生えた手を振りかぶる。
 長大な爪が、異教徒の女の衣装を貫通し、柔らかな腹を引き裂く。
 内臓をひっかけた独特の感触が指先に伝わり、噴き上がった血が、イェーガーを濡らす。
 彼は凶暴な喜びに駆り立てられ、思わず笑う。

 悲鳴を上げる女の、腹から内臓を引きずり出し、乳房に、顔に、爪を振るい、太ももの肉を噛み裂く。

 血と肉の花が咲き、普通の人間だったら悪臭と表現するであろう匂いが立ち込めた時にも、イェーガーにとっては、まるで天国の花園にいる気分だ。

 と。

 いきなり、視界が白く瞬く。

 イェーガーは、何が起こったのかわからず、思わず硬直する。

 それはちょうど、雷が至近距離に落ちたのに似ていたが、しかし、何の物音もせず、終始静かだ。

 見ると、目の前の床に転がっていた、女の残骸がない。
 あれだけ周囲一帯に「散らばっていた」というのに、まるで時空ごとスライドでもさせたかのように消滅している。

 代わりに。
 彼の周囲を取り囲むように、六つの影が。

 イェーガーと違って、完璧な四足の獣の姿の、巨大な黄金の狼。
 額に宝石を戴いた、ベルベットのように滑らかな銀白色の毛皮の、優雅な獣。
 全身に炎を纏いつかせ、下半身は異国風のゆったりした衣服で覆われた、燃える剣を持つ魔神。
 あかがね色の髪が禍々しい、背中に翼を負い、額に一本角の、禍々しい姿。
 そして、頭が九つもある巨大な龍蛇が、虹色に輝いている。

 最後の一人が。

「ヨーゼフ・イェーガー。現在確認しているだけでも、67件の殺人の容疑で、お前を処断する」

 冷たい鋼のように重い声で宣言したのは、先ほどの翼のある悪魔によく似た、やはりあかがね色の、六対の角と、耳に翼のある、巨大な魔人。
 どう見ても、伝説の悪魔そのものの姿に、イェーガーは嫌悪と怒り、そして恐怖を感じる。

 こいつのことは知っている。
 故国で俺を追いかけ回していた、堕落した政府の飼っている悪魔の一匹だ。

 追ってきたのか。
 面白い。

 イェーガーは、本物の狼のように、ぐるると唸った。


4 Oracle見参!!

「ははぁん、戦闘力は高いけど、幻覚系の攻撃には弱いって、エミールくんからの情報、ホントだったわネー」

 優雅な宝石の獣が、二本の尻尾をゆらゆらさせながら、可愛らしい声でつぶやく。
 にゅーん、と伸びをするのは、普通の人間だったら可愛いと思うのであろうか。

「でも、こんなに単純な手に引っ掛かるなんてねぇ。所詮、周囲のサポートがなけりゃ、ただの毛皮を纏った乱暴者だわぁ。つーわけで、後はみんな、よろしくネー」

 アミュレットの後を、黄金の狼の姿のオービットが継いだ。

「君には同情せざるを得ないよ。そうすべきでないとわかっていてもな。同じ狼として」

 いつも陽気な彼に似つかわしくない、悲しみを含んだ声音。

「環境がまともだったら。本来尊いものを、極限まで悪用する邪悪なサイコ野郎になんか、拾われなかったらな。だが、全ては遅かった。君はもう戻れないし――第一、危険過ぎる。だからせめて、ヴァルハラに行けるように、俺が図らってやるさ」

 ゆっくりと自分の置かれた状況が呑み込めてきて、イェーガーは目を見開き、荒く息を吐き出す。
 あの「粛清」したと思った異教徒の女は、あの宝石の神魔が作り出した幻。
 それが証拠に、女の残骸もなければ、直前まで手や鼻づらを濡らしていた、快い血液の感触も乾いている。
 そして、自分はまんまと、この人気のないビルに連れ込まれたのだ。
 こいつらの元へと。

 ――故国のそれ以上に精鋭揃いとの呼び名も高い、アメリカの神魔組織Oracleの面々だということに思い至った時。
 イェーガーの全身に、恐怖と同時に、どうあっても戦って、ここを生き延びなければならない、という決意が湧きあがる。

 生き延びたとしても、今後どうやっても今まで通りの暮らしなど望めないという認識は、都合よく彼の頭に浮かび上がりもしない。
「今までやってきたこと」を、疑うことなどできない。
 それは、「神に与えられた使命」なのだから、「それがなくなった自分」など、想像するだけでも罪だ。

 戦わねばならない。
 だが、ここでは不利。

 イェーガーは颶風のようにビル外へ逃げ出そうと、身を翻し……

 凄まじい衝撃が、彼を襲う。
 ショットガンで撃たれても、ここまでの衝撃ではないだろうというほどのもの。

 一瞬気が遠くなり、視界がフラッシュアウトする。

 気が付いたら、ビルの外の路上で、アスファルトに熱烈なキスをしていた。

 その時になって、ようやく気付く。
 これは、エミールの技だ。
 風の魔神パズズの血を引く彼は、極限まで圧縮した空気を弾丸のように撃ち出すことができる。
 これでコナゴナにされた仲間は、一人や二人ではない。

 ぐらつく頭をどうにか起こすと、背後でまるで銃口を向けるように、手を伸ばしてこちらに狙いを定めているエミールが見えた。

 一撃で仕留めなかったのは、単なる足止めだからか。
 なら。

 踏ん張ろうとしたイェーガーを、別の衝撃が襲う。

 脚の激痛は、一瞬遅れた。

 倒した酒瓶のように、とめどなく両足の切断面から血があふれ出す。
 本来なら、すぐに接合するはずのそれが繋がらないのは、エミールの後ろにいる、奴によく似た神魔――多分、こいつが噂に聞くエミールの父親、メソポタミアの魔神パズズだろう――のせいだ。
 小型の竜巻とでも言うべき暴風を巻き起こして、ちぎれた足先を吹きとばしたのだ。
 アスファルトを深くえぐった風の刃の軌跡は、彼の元からまっすぐイェーガーの脚にまで続いている。

「苦痛を嘆くのか? お前のような奴が?」

 パズズだろうと思われる、邪悪な風貌の魔神が、狂暴極まりない顔で嘲笑う。
 彼の周囲で風が唸る。

「わかっているさ。お前は、その苦痛から、他人の苦痛を想起する機能を手放した。そうせざるを得なかったのは知っているが、だからと言って見逃すことはできん」

 それが、どういう意味を持つかなど、イェーガーはもはや考えることもできない。
 代わりに、意識を脚に集中させた。

 再生。

 一瞬で再生された脚で、イェーガーは弾丸のように走り出した。
 とにかくここから離れれば……

 しかし。

「ダメだよ、人狼さん」

 目の前に、輝く影が立ちはだかる。

 虹色に輝く、九つの頭の大蛇。
 見上げるような巨大さだ。
 まるで自分こそがこの世の中心だと、生ける太陽だと言わんばかりのその姿は、まさに許すべからざる異教の邪神。

 イェーガーは知っている。
 蛇は、聖書でも邪悪と断言されている、呪われた生き物だ。
 にも関わらず、昨今の神魔たちの間では、世界は主なる神ではなく、この汚れた龍たちが創ったなどという説が支持されているという。

 許しておけない。
 絶対に。

 怒りがイェーガーの拳に力を注いだ。
 物凄い勢いで、爪が龍蛇の、D9の頭部の一つに命中する。

 鋼鉄がぶつかり合うような音が響く。
 確かに頭部に命中した拳を、D9は揺らぎもせず受け止めた。
 ダイナマイトが爆発したに等しい衝撃であろうに、鱗の一枚も剥げていない。

「人狼は、可能性を秘めた種族なんだってね?」

 目の前で、静かに鎌首をもたげたまま、D9が呼びかけた。

 今までにない恐怖を感じ、イェーガーは更に爪を叩きこんだ。
 が、まるで未知の物質でできているかのように、爪が滑って落ちるだけ。
 D9の肉体には、傷も付いていない。

「人狼って種族は、修行次第で、物凄く神魔の格を上げられるんだってね。うんと格上に出世すると、世界の運行の一部を任されることもあるんだって。うちのオービットみたいにね」

 その妙に穏やかな若い女の声音の響く間にも、イェーガーはとにかく攻撃を続けた。
 しかし、鋼鉄よりも鋭利であるはずの爪も、喉笛を引き裂くはずの牙も、まるで異様な魔法で妨害されているように、その禍々しく輝く蛇体を傷つけることはできない。

 どういうことだ、という思いの底の底に、仄暗い納得。

 自分は神に近付ける種族でありながら、それを自ら手放した。
 自分は神に正しく仕えているのに、不信心者たちの妨害に遭っている。

 前者の声を後者の声が圧倒する。
 この心の声を物理的な音響に変えられるなら、この都市全域に響き渡らせることができるだろうに。

 だが、今は。

「あなただって、ちゃんとした人狼として生きていれば、無限の可能性があったのに。できれば、もう少し早く誰かに気付いてもらえていたら。あなたばっかりが悪いんじゃないって言いたいけど、でも、やっぱりあなたは、同情するには残忍で狂い過ぎている」

 イェーガーは咄嗟に戦法を変えた。

 人狼の鋼鉄のばねのような脚力で跳躍し、D9の巨体の頭上を飛び越そうと……

 突然、脇腹に衝撃がくる。

 脇腹から腰、背中の辺りに違和感。
 次いで、その部分から、発火したような激痛が走る。

 自分が、九頭龍の口の一つに咥えられ、胴体に横合いから毒牙を打ち込まれているのだと気付くより早く、激痛は全身に広がった。

 D9の口が開き、イェーガーを地面に放り出す。

 まさしく怪物的な人狼の再生力をもっても、まったく追いつかないような猛毒の効果が、イェーガーの肉体を浸蝕する。

 皮膚がただれ、毛皮が溶け始める。
 強大な生命力のお陰で、そう簡単に鼓動を止めない心臓が、毒を一瞬のうちに全身に運ぶ。
 毛穴から刺すような匂いの煙が上がる。
 全身の肉が泡立ち、ぼたぼたと体液が全身から滴った。

「D9!! 離れてな!! さあ、パーティは終わりだぜ、僕ちゃん!! いい子は帰りな、神様の元へな!!」

 その声で、D9の影がイェーガーから離れ。
 反対側で、長い狼の遠吠えが、闇に響く。

 天空の一角が輝いた。

 轟音と共に降ってきた輝く何かが、異様な痙攣を見せていたイェーガーの肉体を粉々に砕く。
 道路が砕け、周囲のビルの窓にひびが走る。
 もうもうと煙があがり、視界を塞いだ。
 一瞬で、イェーガーのいたあたりを中心に、小規模のクレーターが出現していた。
 本人は、どこにも見えない。
 いや。

「まだ、生きた細胞がありやがるのか……。惜しいな。これだけ生命力が強いってこたあ、相当な伸びしろがあったってことなんだがな……」

 前に進み出た、炎を纏った人影――イグニスの目は、がれきの隙間や、ビルの壁の一部に飛び散った「イェーガー」を見つける。
 それは原生動物のようにぐにゃぐにゃとうごめきながら、それでも寄り集まろうとしていた――数百数千の肉片に砕かれているにも関わらず!!

「まともに鍛えりゃ、逸材だったはずだ。しかし、その力を弱いものいじめにしか使わなかったら、『鍛える』なんて不可能なんだよ。惜しい、ほんとに惜しいぜ、てめえは……いや、惜しいのはてめえだけじゃなくて……」

 その言葉の間に、あちこちで炎が上がった。

 創世神たる伊耶那美をも葬った、炎の神火之迦具土の御神火は、無数に分かれた「イェーガー」の全てを焼き尽くした。
 暗い夜道のそこここに青白い炎の柱が立ち上る様は、さながら古代の葬送の行列を思わせる。

 幻想的とも不気味とも思える光景が現出したのは、長いように感じられても、恐らく一分以内であっただろう。

 全てを灰も残さず焼き尽くした炎が消えた時には、すでに沈黙。
 街は、死に絶えたような静けさに包まれた。

「あーーーー!! みんな、お疲れ様!! 怪我はない!?」

 人間形態に戻ったD9が、がれきをまたぎ越して、よいしょと戻ってくる。

「まー、幻でひっかけただけだからね」

 アミュレットが、猫っぽい耳の生えた娘の姿で、腰の後ろから生えた尻尾を揺らす。。
 D9はアミュレットの喉下をごろごろしてから、恋人とその息子の方へ近づいてきた。

「ありがとう、父さん、ママ、みんなも。向こうじゃ割と手こずったんだが、流石に噂のOracleは凄いぜ!!」

 人間の姿に戻ったエミールが、近付いてきてD9をぎゅっと抱きしめた。

「君は大丈夫か、D9!? 随分殴り付けられていたみたいだが?」

 同じく人間形態に戻ったダイモンが、D9の顔に手を伸ばして気づかわし気だ。

「大丈夫。なんか当たってるな、くらいで、全然痛みとか衝撃とかなかったから。ダイモンこそ、なんか飛び散ったあれこれ付いてない?」

「それ、ホラー映画だったら続編への前振りだな」

 けろりとしているD9の顔を、ダイモンがしげしげと見回し、本当に怪我がないようだと判断してほっと安堵の息を漏らす。

「イヤア。久し振りに星を呼んだがね。あれでまだ動いてるとか、ちょっとショックだったぜ、オェェップ!! もう、こっちよりエミールの故郷が大変なんじゃないか? ああいうのが干し草の山みたいにいっぱいいるんだろ?」

 Oracleの軍服姿に戻ったオービットが、腕をぐるぐる回す。

「まあ、例の組織を分断できれば、だいぶ楽だと思うんだよなあ。マフィアなんかと一緒さ、属してる個人個人は、誰でも聞いたことがあるような大物な訳じゃないからな」

 エミールはいつものややオーバーアクション気味に説明し、肩をすくめる。

「まあ、どこでも炎系の神魔はいるだろうから、ツブしたら念入りに焼くしかねえな、ああいうタイプの人狼は。つうか、多分末端ツブして組織を切り刻んだ後が大変だろうな、ヨーロッパの方は」

 D9は、炎の神から、金髪でピアスジャラジャラのいかにもグレたような人間に戻るイグニスを振り返る。

「どういうこと?」

「伝統的な思想なんて、そうそう消えるもんじゃねーし、第二第三のイェーガーになり得る奴は、どうしたって出てくる。それを何とかするって課題があるはずだぜ」

 おお、と声を上げたのは、D9の背中によりかかって尻尾ぴろぴろしていたアミュレット。

「ほー!! 流石現役の神様!!」

「主神の兄をナメんなよ。似たような話なんざ、昔日本で山ほど見た。昔の日本人は、信心過ぎて極楽を通り越す、なんて言ってたくらいでな……」

 ふと、D9は、プリンスにミッションコンプリートの連絡を入れているダイモンの背中を見詰めながら考えた。
 無意味な疑問かも知れないが、この事件で、一番「悪かった」のは誰だろう?

 無論、イェーガーが「標的」だったにせよ、彼は殺人機械として純粋培養されてしまった不運な男とも言える。
「死神司祭」なんかに出会わなかったら、今頃、エミールの同僚だった可能性すらあるかもしれない。

 なら、死神司祭が悪いのか。
 もちろん、こいつは、聞くだに巨悪だ。
 だが、「神の猟犬」思想なんか知らなかったら、そもそも魔女狩り組織なんかを21世紀にもなって立ち上げようと、本気で考えただろうか?

 ならば、結局「神の猟犬」思想を思いついた、古の人狼たちが悪いのか。
 魔女狩りに巻き込まれ、命も危うかった彼らが?

 すると、悪いのは結局昔の人間たちなのか。
 いや、当時、ヨーロッパ社会のストレスはとんでもないものだったとは研修で習った。

 すると、人間社会に多大なストレスを与えていた自然が悪いのか。
 引いては、それを司っていた神々が。

 いや、人間にとって不都合な自然の営みも、巨大な目で見ればサイクルの中の変動でしかなく、そしてそれは人間様の都合に無理に合わせれば破綻するに決まっている。

 なら、誰が最終的な責任を負うべきなのだろう。
 誰が。

 わからない。

「D9? なに、急に難しい顔してるにゃ?」

 アミュレットに声をかけられ、D9は、微笑んで、なんでもない、と返した。

 遠くから、サイレンの音が聞こえる。


5 Oracleより愛を込めて

「ちちち……」

「やー!! かーわーいーいー!!」

 翌日、昼下がりのOracle執務室。
 穏やかな光差す、D9のデスクの上に、愛らしい小鳥が止まっていた。

 ちょっと野鳥に興味のある者だったら、それがヨーロッパコマドリ(ロビン)と呼ばれる種類の小鳥だと判別がついたであろう。
 ぽわぽわ真ん丸で、顔から胸にかけてオレンジ色、腹は白く、そして背中や翼は青みがかった灰色。
 マザーグースの有名で物騒な童謡も耳に聞こえるかも知れない。

「ふふふ、可愛いだろ、ママ? 存分に愛してくれていいんだぜ」

 チヨチヨした鳥の鳴き声の合間に、妙に響きの良い、成人男性の声がする。
 すっかりおなじみになった、エミールの声だ。
 すると、このロビンは。

「はあ、可愛い……」

 D9は、コマドリ姿のエミールを手の中に収め、ふわふわの羽毛を撫でる。
 その姿を、呆れて眺めるのは、隣の席の恋人ダイモン。

「D9もエミールも、勤務中だぜ、一応」

「だってー。報告書上げたらヒマー」

 とD9がエミールコマドリをもふりながら呟けば、

「俺もなー。本国(ドイツ)にミッションコンプリートの報告入れたら、まだ何人か、アメリカに逃げた奴がいるはずだから、そのまましばらくOracleとの連携作戦を継続せよってさー。あー。今くらいママと遊ばせてくれよー」

 エミールがD9のてのひらの中で、更に丸まる。

「ふーーーっ、ふーーーーーーっ!!」

「……!? ア、アミュレット!?」

 D9が振り返ると、そこに猫耳を水平にし、形のいい尻から突き出た、二股の尻尾をゆらゆらさせた、半獣形態のアミュレットが。
 額にカーバンクル族の特徴である大振りで鮮やかなルビーが光る。
 なかなか神々しい雰囲気になるはずが、可愛い舌でぺろぺろ舌なめずりしているせいで、猫っぽさばかりが前面に出る。

 いや、可愛い。
 可愛いが。

「むうう、こう、本能として美味しそうな小鳥ちゃんを見ると……」

「えっ!? 狙われてんの俺!! しかも、食い物として!?」

 ガビンとショックを受けたエミールは、いきなり飛び立つ。

「脱出!!」

「あー!! 逃げたにゃーーーー!!」

 しかし、エミールが着地したのは、黄金色のもふもふした背中。

「Oh? なんか背中がぽわぽわしてるぜ?」

 自分のデスクの後ろの通路に、巨体をのびのび横たえているのは、太陽を追う黄金の狼スコールの正体を現したオービットだ。
 ……どっちかというと、限りなく、「夏場にだらけている、大型のむく犬」であるが。

「ちちち。さーて、最上級毛皮の敷物だぜ!!」

「Oh……なんだ、この動物カレンダーみたいな図柄は? まあいい。だらけさせろ。その昔、太陽を一日も置かずに追いかけ続けた勤勉なオレサマが、地上に降りてもこき使われるって変だろ!? 先人を大事にしやがれ。まあ、大部分、先人という名の化石しかいないけどな、この職場。HAHAHA」

 わめく黄金の毛皮の山。

「あー、お静かに」

 当たり前のようにオービットの背中で昼寝体勢に入ったエミールを眺めながら、苦笑するのは、斜め前のデスクに座ったイグニス。
 じゃらじやらの全身ピアスそのまま、顔に凄い傷跡の威圧的な表情が、今はなんだか優しい。

「よう、ダイモン、おめえよ」

 向かい側の席のダイモンに、苦笑もそのままに話しかける。

「ん? 小鳥の苦情は後にしてくれ」

「いや、そうじゃなくてよ。おめえの息子な。大事に育てられてんな」

 くつくつと笑うイグニスに、ダイモンは怪訝な顔だ。

「ん? そりゃあ、一応は、な? だが、エミールの性格はエミールが自分の意思と努力で形作ってきたもんだ。だって、そいつはティーンじゃない、2000歳を超えてるんだぜ?」

「いや、そうであってもよ。親父の職場で、こんなにリラックスできるんだから、親父も周りも、絶対に自分の敵に回らないって確信があるからだろ。……マトモな親父なんだな、おめーは。見直したぜ」

 ダイモンははたと気付く。
 イグニスこと、火之迦具土と呼ばれる日本の炎の神の神話。
 母親の体を傷つけ、死に追いやったと、父親に生後間もなく惨殺されたのだという。
 人間形態になっても消えることのない、半顔を覆う無残な傷跡は、父親に付けられたのだと、聞いたことがある。

「なんだ、今まで見損なってたのか? それよりB班の経過報告書、そっちに……」

 ダイモンが言いかけると、ぱたたたっ!! とエミールコマドリが、彼の頭に降り立つ。
 ちちち。

「……おい」

 ダイモンのツッコミ聞かず、エミールはダイモンの軍服の襟と首の間に潜り込んだ。

「いやー、数百年ぶりくらいだけど、落ち着くねえ。二時間経ったら起こして」

「二時間も寝る気か、お前は!!」

 ガチ寝しはじめた息子鳥形態に突っ込む気力が一瞬で尽きたダイモンは、やれやれと仕事に戻る。

「あ~~~~あ~~~~~~、可愛い~~~~~~~……」

 ハートが飛び散っているようなD9に、ダイモンは大仰に溜息をついて見せた。

「D9、あんまり神魔の見た目に騙されるなよ。まあ、こいつは君にとっては無害にしても。他は警戒しろ。あてにならないことおびただしいんだぜ、神魔の外見上の親しみやすさなんてのはな?」

「んー、そういうことはわかってるけど。研修でも教えられたし」

 それよりもさ、とD9が付け加える。

「エミールは、今までよくやってきたじゃない。ここしばらく、休む間もなかったって。お父さんのダイモンが、少しくらい甘くしてあげないと、可哀想だよ」

 まだ何か反論しようとして、ダイモンはふっと笑いがこみ上げてきた。

「ああ……可愛いよな」

 そう言って、手指を伸ばしてD9の頬に触れた彼の目の優しさに、D9は嬉しくなって抱き着いた。


 

神魔部隊Oracle
かくはいVol.1 向け 特別番外編
「人狼の夜」  【完】

by 大久保珠恵

「神魔部隊Oracle」の作品紹介スピンアウト「人狼の夜」です。

↓「神魔部隊Oracleシリーズ本編」はこちらから
https://tokoyobumi2291.jimdofree.com/

 過激思想に染まり、「邪悪な魔女」を殺害するのが神に課せられた自分の使命だと思い込んだ人狼は、おぞましい連続殺人鬼に。
 ドイツに始まり、欧州のあちこちで暴れまわった人狼、ヨーゼフ・イェーガーは、ついにアメリカ行きの飛行機に乗り込む。
 ドイツ陸軍「対分類外生命体特殊部隊」に所属する、ダイモンの息子、エミールは、血に染まった人狼の凶行を止めるべく、父親に連絡を取り、自らもアメリカの地に降り立った。
 彼とD9はじめ、Oracleメンバーによる共闘が始まる!!

 かくどんの皆さんにお寄せいただいたゲストキャラを登場させていただいております!!
 ありがとうございます!!

SPECIAL THANKS
 紫月紫織さん(アミュレット)
 此瀬朔真さん(オービット)
 富士見永人さん(イグニス)

 そして、飛鳥さん。
 こうした機会を与えて下さり、まことに感謝しておりますm(_ _"m)

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